ウィーン・フィルを指揮した話

セゾン現代美術館にて

先月30日の夜明け前、私はウィーン・フィルハーモニーを指揮することになり、困惑していました。日付が明確なのは、変な夢を見た時だけにつける日記に記録していたからです。元は読書と音楽と夢の記録だったのに、いつの間にか夢の記録が殆どになり、おまけに最近なぜか夢の記憶が残らないので、それすら間遠になっていました。久々の悪夢でした(ただし、軽めの)。

夢を見た理由はハッキリしています。一つは、ネット上でウィーン・フィル来日の可否が話題になっているのを追いかけていたせいです。耳鳴り以来コンサートに行かなくなったのに(家でも殆ど聞きません)、未練たらしく情報を追いかけています。指揮のゲルギエフともども本当にやって来て、チャイコフスキーの悲愴など素晴らしい演奏だったようです。そんな情報だけで涎を垂らさんばかりなのは我ながら情けない。

もう一つは、カルデニオ-ハムレット論を「三田文学」に掲載するために原稿を書いていたからです。研究者でもないのに「二重の欺瞞」問題に首を突っ込んでしまい、シェイクスピアは英文学研究のアカデミアの「本拠地」でしょうから、不安に感じていたらしいのです。それは、こんな夢でした。

ウィーン・フィルを指揮するのは決まったことで逃れられない。曲によって指揮者が変わるらしく、順番に五人ほど並んでいる。私は後ろの方だったのだが、前の人たちが急に都合が悪くなったとかで、最初の指揮者にされてしまう。不安でたまらない。指揮台は壁に面した机の上の高い場所にあって、上がろうとするが恐くて無理だった。すると床面で指揮してもいいと分かった。

ニューイヤーコンサートのような軽い曲が始まる。懸命に腕をふるが、私はそもそも楽譜が読めず、何拍子なのかすら分からない。楽員たちは私が何もできないのに気づいて、あきれて次々に去って行く。ベースが分解されて運ばれていく。船着き場のような場所に向かって。

舞台には殆ど楽員が残っていないが、曲は鳴り続けている。なぜか合唱入りだ。私は恐くてたまらない。恥ずかしい。仕方ないな、という感じで老人の男性指揮者が引き継ぐことになった。感じがいいような悪いような人……ここから、夢は別の段階に入ります。

つらい夢だったのですが、そんな苦難(?)も乗り越え、昨日「三田文学」に原稿を送ることができました。来年初めに出る冬季号に掲載されます。タイトルは「シェイクスピアはドン・キホーテをどう読んだか?」そのまんまです。

実際書いている時にはつらいとは思わず、楽しい気持ちがはるかに優っていました。ブログの更新が一ヶ月近くできなかったのは、マルチ・タスク能力の欠如が一番大きいのですが、思いがけないほどに熱中してしまったせいでもありました。