常陸国風土記の詩想 風土記補遺(3)   #73

常陸国風土記には風土記の文学としての魅力が凝縮されている。冒頭、倭武天皇が沸き出したばかりの泉水に指をひたす美しい場面(#3)は、その魅力を象徴するものだ。ただし、こんなことを言っているのは私だけかもしれない。専門家の世界に闖入して迷子になるのは懲りたので、網羅的に文献をあさることはしていないけれど。

学者にも風土記を好きだと語る人はいて、たとえば坂本太郎氏の随想(*1)を読むと、資料を揃えること自体が難しかった時代から研究を深めていった真摯な姿勢に圧倒され、やがて氏の風土記への愛の深さに感動する。しかし他の多くの人は、古代の歴史、文学や民俗を研究する際、メインストリームの古事記や日本書紀にない材料や視角を与えてくれることが風土記への好意の理由のようだ。風土記そのものは愛の対象ではないのだ(#3)。

前回の予告で触れた折口信夫の風土記をめぐる論は、講演や大学での講義をベースとしたものが多い。概して、風土記自体への関心より、古代の文学や民俗を論じるのに必要なので触れたという印象を受ける。そうした中、歌人釈迢空でもある折口が常陸国風土記について、わざわざ「つまらぬもの」と記したのはやはり気になる。

國學院大學の講義の筆記録である「上世日本の文学」(*2)で、折口は、常陸国風土記の編者は「漢文學の洗禮を受けた、新時代の知識人」であると述べる。彼らは「文明人の態度」で古い信仰を幾分か破壊的に扱っていて、それは面白そうに思えるかもしれないが、「實際は讀んで見るとつまらぬものである」と述べるのである。この毒舌が学生へのサービスなのか、よそ行きではない本音の発露なのか、門外漢の私には判別できない。

他では、『岩波講座「日本文学」』の「風土記の古代生活」(*3)で、常陸国風土記において漢文脈の発想と、土着の素材に漢文学を織り込んだものとを混ぜ合わせたことを、当時としては極めて進んだ企てだったと記す。また、慶應義塾大学での講義録(*4)では、「常陸国風土記が文学的だという新しい姿をもっている」と述べ、結語で同書を「味の変わったところのある書物」と評している。ただし、上記*2、*3が折口生前の著作であるのに対し、*4は没後の出版であり、実際の折口の言葉なのか疑問も残るが、深入りしない。

折口の風土記に対する評価には厳しい面がある。たとえば九州の二風土記はずっと後の時代に作られた偽書とほぼ断定している(こうした極端さのためか、折口の風土記論は民俗学以外の分野では無視されている気配)。その折口が、「つまらぬ」と述べた常陸国風土記について、風土記中最も信用がおけるものとも書いている(*1)。常陸国風土記への折口の評価はぶれているように見える。その理由を私は以下のように考えた。

奈良時代初期、当時の先端を行く知識人が、僻遠の任地の民俗や信仰を漢文学というハイカラな流行り物を使って裁断する時、それは折口には「つまらぬもの」に見える。一方で折口は、万葉集において重要な人物である藤原宇合うまかいとその下僚である高橋虫麻呂が常陸国風土記の編纂に深く関わったと考えている(*4)。つまり、常陸国風土記は「日本文学」の創出の一翼を担った「最先端の知識人」の作成した「」なのである。彼らは、単に信頼が置けるという域を超える「味の変わった」報告書を作りだした、というわけだ。

しかし、折口は常陸国風土記を文学とは認めないのである。こうした見方は、折口ひとりのものではない。風土記全体、また常陸国風土記単独に対しても、学者のほとんどは、「解」の官報的な性格を持つ部分を除いたとしても、「真の文学」とはみなしていないようだ。そうした姿勢の根底に、常陸国風土記は漢文学の原典の応用でしかないという見方がある。

角川ソフィア文庫版風土記の監修、訳注者の一人である橋本雅之氏は、著書に常陸国風土記(の中の茨城郡うばらきのこおり高浜)を引いて「ネタ元」の漢詩を並べている(*5)。
春は浦の花ちぢに彩り、秋は是れ岸のこのはももに色づく。歌ううぐいすを野のほとりに聞き、舞ふ鶴をほとりる。

この元は、下の二つだという。
繁鶯はんおうの歌は曲に似て、疎蝶そちょうの舞いは行をなす。(*6)
游魚ゆうぎょ地葉ちようを動かし、舞鶴ぶかく階塵かいじんを散らす。(*7)

確かに双方とも鶯が鳴き、鶴が舞っている。しかし、もし前者が後二者にヒントを得て書かれたのだとしても、常陸国風土記は、重たい定型の鎧を着て踊るような二つの漢詩の堅苦しい表現から離れ、遙か東の方へと飛び去って、日本の自然に似つかわしいたおやかな詩文と化しているのではないだろうか? これを文学的な創造と言えば、飛躍が過ぎると咎められるかもしれないが……私には、折口や学者たちが常陸国風土記に宿った独自の詩想を見つけ損なっているように思えるのである。

外国文学の影響を受けたか否かは、詩人の真の価値を見定める指標にはならない。真の詩人、たとえば春日蔵首老かすがのくらのおびとおゆのような……1回分の分量の上限に達してしまった。しかし、次回に延びて良かったかもしれない。国会図書館の入館者抽選に当たり、7月7日に春日蔵首老関連の文献を見ることができそうなのだ。文献の中身次第では、補遺の続きでなく項を改めて書くことになるかもしれない。その前に、2度目の新型コロナワクチン接種を生き延びる必要があるわけだが……どちらも楽しみ。

<註>
*1 『風土記 日本古典文学大系2 月報12』岩波書店、昭和33年。
*2 『折口信夫全集第十二巻』中央公論社、昭和30年。
*3  昭和7年。引用は『折口信夫全集第八巻』中央公論社、昭和30年。
*4 『折口信夫全集ノート編 第二巻』中央公論社、昭和45年。
*5  橋本雅之『風土記 日本人の感覚を読む』角川選書、平成28年。以下、一部原著の表記を再現できていないところがある。
*6 「対酒」唐初の詩人王勃。『王子安集』。
*7 「擬落日窓中坐」梁の皇太子簡文。『玉台新詠』。