筑波山の合コン 常陸国風土記(2)  #5

常陸国風土記の倭武やまとたけるをめぐる短い美しい文章を読んでいたら、頭の内に一つの情景が浮かんで来た。

森の小径で顔を上げると、濃い青色の空が広がっているのが目に入った。空気は乾燥して熱い。すでに盛夏は過ぎたが、辺りの木々は旺盛に葉を茂らせている。地面は赤茶色く、その表土はひとたび風に舞い上げられれば小さな棘のように人の目を刺すだろう。しかし、いま風はやんでいる。倭武の乗る乗輿こしのそばに立つ男たちも動かない。その足下を真っ黒い蟻が列をなして這い回っている。……

先の短い文章には、このような妄想を誘い出す力がある。ちなみに夏の情景としたのは勝手な決めつけで、原文に季節は出て来ない。だが、私には夏としか思えないのである。こうした文章が紡ぎ出されたのは、この文章にとっては余徳に過ぎない(当たり前だが)。「常陸国風土記」には、このすぐ後にも魅力的な文章が続く。

「夫れ筑波岳つくばのやまは、高く雲に秀で、最頂いただきは西の峯たかし。の神と謂ひて登臨のぼらしめず。唯、東の峯は四方よも磐石いはにして、昇り降りは坱圠しなあれども、其のかたはらに泉流れて冬も夏も絶えず。坂より東の諸国くにぐに男女をとこをみな、春の花の開くる時、秋の葉のもみとき、相携ひ駢闐むらかり、飲食くひもの齎賚もちきて、うまにもかちにも登臨のぼり、遊楽あそび栖遅たたずむ。……」

私の目に、貴賤の人々が相集い、それぞれに楽しむ様が一幅の絵画のように映っている。この前の項で、富士山が人を寄せ付けないのに対し、筑波山がなぜ人気があるのかという起源説話が語られている(前者は訪れた先祖の神を追い返したのに、後者はもてなしたから。筑波山は、富士山をライバル視しているのである)。それが前段になることによって読者の感興は深まる。

しかし、この文章はその魅力において自立している。春の花に、秋の黄葉に、男女で相集い楽しむ、その明るさ、のびやかさ。千数百年の時を超えて参加してみたくなる。申し添えれば、春秋、男女が山で歌を交わし合うというのもまた、人々の楽しみを表現する際の定型と言える。定型だから価値が下がるわけでないのは、倭武の井戸の場面と同じだ。常陸編の著者は定型に従いつつ定型を超える文章の達人なのである。

この後、相手を見つけそこなって嘆く男の歌が紹介され、筑波山の歌垣(合コン? 婚活?)で持てないような男女は見込みがない、という身も蓋もない当地の諺が披露されて、筑波郡つくばのこほりの報告は終わる。筑波山の集いの文章に、神話や物語のような展開、ストーリーはない。

いわば文章によるスケッチなのである。絵にたとえるとしても、絵巻物ではなく、時代がさらに遠くなるが歌川広重の浮世絵の方がふさわしい。夕立の橋の上を急ぐ人々のそれぞれの事情、個々人の物語など誰が知りたいだろう? ストーリーを構成せず、脈絡なく切り取られた一場面であるからこそ、魅力が際立つ。倭武が清水で指を洗う挿話もまた(こちらは動画みたいだが)。私にはそのように思える。

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