ラス・カサス、マーク・トゥウェイン、コダック  #23

ラス・カサス『インディオスの破壊に関する簡潔な報告』を読むと、スペインの中南米の原住民に対する残虐非道な扱い、数百万単位という虐殺の規模の大きさに呆然としてしまう。記録を残したからといって、スペインの罪が消えるはずもないが、これもまた書かれ、刊本となったからこそ言えることなのだ。

歴史に残されなかった虐殺は、古代から近現代に至るまで山ほどあり、私たちはそれらについて語ることができない。世界に冠たる大英帝国の所業について、ラス・カサスの記録に匹敵する書物は存在せず、そのため、北米インディアンやオーストラリアのアボリジニに、世界の植民地で、どんな酷いことをしたのか私たちは断片的に知るのみだ。20世紀にも非道は続いたというのに、その全体像を知ることのできる「簡潔な報告」はない。

ベルギー国王レオポルド二世は、アフリカのコンゴ植民地において、1880年代半ば以降の二十年ほどの間に一千万人以上の現地人を死に追いやったとされる。レオポルドは巧みな外交戦術で、列強のアフリカ支配の空白地だったコンゴを王個人の支配するコンゴ自由国に仕立てた。特産の天然ゴム採取のために現地人を酷使し、残虐行為や虐殺が頻発したことから、当時、世界的な悪評を浴び、作家・文化人も非難の列に参加した。マーク・トゥウェインもその一人で、「レオポルド王の独白」という短編を書いた。

一方、ポーランド生まれのイギリス人作家コンラッドは、ベルギー支配下のコンゴで仕事をした経験を生かして代表作「闇の奥」を著した。この作品では、死の淵に追いやられた現地人は影のようで実体がなく、その背後でどんな非道が行われていたのか知ることはできない。その後、コンゴでの驚くべき大虐殺は、人々の視野から消えてしまう。レオポルド二世治下の悪行は事実上忘れ去られた。国王の名は1966年までレオポルドヴィルとしてコンゴの首都の名前に使われ、今もベルギーの国家勲章の名称である。

マーク・トゥエイン「レオポルド王の独白」は、レオポルド二世を告発する様々な文章を王自身が読みつつ、それらに不満を述べ立てる体をとった短編小説である(今は図書館で探して読むしかなさそうだ)。以下の引用は、池上日出夫訳による。出典は『世界短編名作選〈アメリカ編〉』蔵原惟人監修、新日本出版社 (1977年)。

作中に引用された日記。「伍長は、ゴム徴発にでかけるたびに、弾薬を渡される。未使用の弾丸は全部持ちかえらねばならぬ。そして、使用した場合、一発につき右手首一個持ちかえらねばならぬ。……マンボゴ河の州で、六ヶ月で六千発の弾丸が使用された。これは、六千人の原住民が殺されたり、手首を切断されたということである。だが、実際は六千人以上だ。……子供は兵隊の銃の台座で殴り殺されているからである」手首の切断は、ベルギー支配下のコンゴで行われた蛮行を象徴する「アイコン」である。

「コンゴの人口が、わしの施政の二十年間に、二千五百万人から千五百万人に減少したことに身震いし……『一千万人虐殺王その人だ』……『最高記録保持者』などとぬかす」この虐殺の新記録は、スターリンと毛沢東によって更新されることになる。

マーク・トゥウェインは、短編中、コダックという小型カメラの出現(1888年)が情報革命を起こしたことを記している。21世紀におけるネットの普及、とりわけSNSによる動画を含む情報の共有が、大手メディアによる情報の独占を突き崩しつつある現状を思い起こさせる。小型カメラの出現がこれほどのインパクトを持っていたとは驚きだ。

「コダックは、わしらにとって、大変な災いのたねだ。実際、もっとも強力な敵だ。以前は、新聞に命じて、(現地人の手首)切断の話は……宣教師や……外国人商人どもが、締め出しをくい、それに憤慨して捏造した中傷、嘘である、というふうに『暴露』させるのはわけなかった。新聞の助けをかりて……手首の切断をいいふらしている奴らを非難するようにしむけた。そう、そのよき時代には……わしは、虐げられた孤独な原住民たちの恩人というふうにみられていた。ところが、突然様子が一変した。これが、あの贈賄のきかないコダックのせいなのだ。……ヤンキーの宣教師や閉め出された商人どもが、のこらず本国からとり寄せてぶらさげている。……写真はどこにいっても出まわっている。わしたちが、全力をあげて切断の写真を探しだして、つぶしているにもかかわらず。……あのちっぽけな、子供でもポケットに入れて持ちはこべるコダックがあらわれ、一言もいわずに、一撃で、説教台も新聞も黙らせてしまった。」