耳鳴りとじゃんけん(2)

耳鳴りがセミの音のようだ、と書いた2017年4月24日の日記には、マーラーの交響曲を「聞くことができた」とも記されてもいます。この時期、耳鳴りは夜遅い時間が主で、昼間には殆ど鳴っていませんでした(少なくとも意識されてはいなかった)。そして、耳鳴りが新しい段階に入るのと時を同じくして、一月ぶりに音楽を聞く楽しみが戻って来たのでした。因果関係は「?」です。

実際には、音楽の復活は「束の間」でした。しかし、この時点では私はまだそのことを知りません。当時の耳鳴りは蝉の声そっくりで、蝉の数や声質、頻度や時間が変化し続けていました。一体どうしたのだろう、と不安になったり不思議がったりしていました。

蝉の鳴き声のような耳鳴りは、すぐに出現頻度を増し、朝も昼も夜も関係なく聞こえるようになりました。恐ろしいことでした。耳鳴り自体うるさくて邪魔だし、何かもっと悪いこと(例えば失聴)の予兆かもしれないという不安も募ります。すると耳鳴りを題材に俳句や短歌が勝手に生まれて来て、それを日記に書き留めたりするのでした。

私は時間表記の大きいスケジュール帳を購入し、耳鳴りが出現しない時間を棒グラフ式に記録することにしました。5月には、目覚めている間、耳鳴りが聞こえる時間の方が多くなっていたのです。上の写真がその最初のページです。

記録することで、耳鳴りが止まる時間に規則性が見つかることを期待していました。そうすれば、音楽をどの時間に聞くか予定を立てることができます。耳鳴りと耳鳴りの間に聞く音楽は、CDではありますが、至福のように感じられました。

記録し続けても一向に規則性は見つかりません。耳鳴りと私は、二人でじゃんけん勝負をするように、ただ偶然に任せて勝ったり負けたりしているようでした。規則性は見つからなかったのですが、8月には耳鳴りが聞こえない時間が以前より少し多くなったことが分かりました。下の写真のように。

私は、このまま耳鳴りの休み時間が増えて、ついに耳鳴りがなくなる時が来ることを期待しました。いや、熱望したというのが正しいでしょう。しかし、前回書いた通り、そうはならなかったのです。秋が深まるにつれ、耳鳴りの頻度は以前より多くなり、音質もセミの声というより非常ベルや精錬工場の騒音のようなものに変わって行きました。そして、12月……。

2017年12月5日を最後に、今に至るまで、目覚めている間、耳鳴りが止んだことは一度もありません。音楽を聞くことは、部屋の中ではなくなりました。コンサートも諦めました。でも、私は耳鳴りに負けたとは思わなかったのです。(3)に続きます。