続・旧約聖書を通読するには

旧約聖書を通読するには適切なガイドブックが必要だと私は考えます。しかし、それだけでは足りないかもしれません。読み通す上で最も大変なのは、通読への意欲を持続させることなのです。新約聖書を読んだからとか、教養のためとか、面白いかもしれないとか軽い気持ち(?)で挑むと、前回触れた「レビ記・民数記の壁」が高い確率で立ち塞るでしょう。それで、中の有名どころだけ読もうとか、入門書で満足するとかいうことになり勝ちです。実際、読まないですましたい人向けの本は結構あります。

忙しい現代人にとって、あれ・・は長すぎます。しかし、1回通読しただけで偉そうですが、旧約を全部読まずにすますのは勿体ないと思います。そこで、非キリスト教徒限定で、通読意欲増進のために勧めたい本があります。『誰も教えてくれない聖書の読み方』作者のケン・スミス氏も訳者の山形浩生氏も聖書やユダヤ教・キリスト教の専門家ではありません。学者でも聖職者でもありません。

作者は『ロードサイド・アメリカ』というベストセラーを書いた多方面に渡る才人、訳者は数多くの訳書があるものの翻訳家ではなく……何か凄い人(初耳という人は検索してください)。そんな「素人」に聖書をめぐる本なんて書けるのでしょうか? 書けるし、むしろ「素人」こそ書くべきという面があるのです(後述します)。で、『誰も……』に何が書いてあるかと言えば、聖書(新約を含む、というか新約の方が比重が大きい)の揚げ足取りです。私じゃなく、訳者の山形氏がそう言っています。

「契約の箱」(「失われた聖櫃アーク」として有名?)について、「十戒を入れた箱で、人間がつくったいちばんおっかない代物。残虐さと殺人力の点でこれを上回るのは神さまくらい」これだけで、『誰も……』が旧約の残虐な側面に触れていそうだと推察できます。ちなみに旧約の神は「得意技:人殺し。聖書でいちばんおっかない存在」、約束の地を目指して40年荒野をさまよった人々は「だれでもすぐに虐殺したがる何千人もの殺人狂機動攻撃部隊と化してる」と記されます。

旧約の残虐な面をストレートに書いた本は初めてだったので、驚くと共に、絶対的なタブーではないと分かってホッとしました。だって、そうだったら怖いじゃないですか……。『誰も……』を読むと、約束の地という言葉が持つ明るい希望に満ちたイメージは吹き飛びます。しかし、それは実際に旧約を読んでも同じことなのです(#24参照)。スミス氏は嘘をついているのでも誇張をしているのでもありません。

この本では、旧約の残虐さや矛盾点、現代的な倫理、道徳に合わない面があげつらわれます。しかし、私がこの本を薦めたいのは、それが理由ではありません。私が『誰も……』に出会ったのは、旧約を読み終える目途がついた頃でした。スミス氏は、私が苦闘しつつ読んだ聖書を茶化して笑わせてくれたのですが、そのことを通じて、旧約の初読者が感じる驚きや困惑、退屈や畏怖などの経験が明瞭に言語化されているのだと気づかされました。生なかなわざ・・ではありません。

著者は茶目っ気があり、才気走っていて、宗教的な権威に楯突くというより特に尊重する気がないだけで、だから怖れもありません。その結果、かえって『誰も……』からは旧約の持つ素の魅力が伝わって来るのです。なのでこの本に触れて、再度旧約に挑戦してみようとか、もっと読み進めてみようとかいう人が出て来ても不思議ではありません。一方、専門家、特に宗教関係者の書く入門書は、矛盾点を都合良く解釈したり、残虐な面を無視したり希釈したりするので、しばしば旧約を魅力のない本と感じさせてしまいます。

聖書研究者の書いた本に、上記の指摘が当てはまるものは多々ありますが、中で通読の友になりそうなものをあげます。山我哲雄氏の本は前回記しました。長谷川修一氏の『聖書考古学』は具体的な遺物、遺跡といった「事実」を通じて聖書を解き明かしていきます。聖書考古学といっても、聖書の記述を実証しようとノアの箱船を見つけるべくトルコの山で発掘を行う、といったことではありません。

まえがきに「この本は聖書の物語に書かれたいくつかの出来事の史実性を否定する」「信仰に相反すると感じるならば、この本はその人に向いていない」とあるのは良心的で好ましいところです。この本、以前図書館で借りて読んだと思い込んでいて2冊買ってしまいました。なのに今回の主役『誰も……』は図書館の本だけ。ごめんなさい。

前回少しだけ触れた井上隆氏は、ヤハウェ信仰が本格的な一神教に変わっていく過程を理論的に考えていく姿勢がユニークです。実験ではなく数学的な仮定に基づいて解明する理論物理学に少し似ているようでもあります。私は勝手に「理論聖書学」と名づけてみました。『一神教の誕生』『集中講義 旧約聖書』など。『誰も……』についてはまだ書きたいことがあるので、次回に続けます。

文献リスト
『誰も教えてくれない聖書の読み方』ケン・スミス著、山形浩生訳、晶文社、2001年
『聖書考古学 遺跡が語る史実』長谷川修一、中公新書、2013年
『一神教の誕生 ユダヤ教からキリスト教へ』加藤隆、講談社現代新書、2013年
『集中講義 旧約聖書「一神教」の根源を見る』加藤隆、NHK出版、2016年