「官報」としての出雲国風土記  #8

風土記が人気薄である原因の一つは、「出雲国風土記」にあるのかもしれない。大和朝廷対出雲王権という古代史の人気トピックの中心地である上に、残存五か国の内で唯一ほぼ完全な形で残っているのだから、古代史に興味を持つ読み手の期待はいやが上にも高まるだろう。が、私見では残存五か国中もっとも退屈なのが出雲編なのである。

なぜ退屈か? 風土記は、朝廷の求めに応じて各国の事情を報告したもの(「」)であり、その集成として「官報」のような性質を持っている。出雲編は時代的に新しいので形式的に整っており(つまりは官報としての完成度が高く)、しかもそれがほぼ完全な形で残ったために、読み物としてはつまらないのである。

常陸国風土記を読んでいると、「以下略」と記されている箇所が多くある。何が書かれていたか気にかかり、省略があるのを残念に感じたものだ。ところが出雲編を読むと、「長江山。郡家こほりのみやけの東南五十里。水精みずとるたま(水晶)有り。/暑垣山。郡家の真東二十里八十歩。とぶひ(狼煙を上げるための施設)有り。/高野山。郡家の真東十九里」といった記述が延々と続くのに出会うことになる。

一方、常陸編に形式的な記述が連なる箇所はない。こうした報告文を省略したのなら、残念がる必要はなさそうだ。常陸編では、「解」の内容が古びて報告書としての価値が失われた後、読んで面白い部分だけが残されたのかもしれない。

出雲国風土記にも、地名起源などの説話は含まれている。だが、常陸国編のような興趣に富む文章は殆ど見当たらず、また古代出雲に関する特異な情報が記されているわけでもない。なおかつ、寺社の名や土地間の距離の羅列といった無味乾燥な記述が多いのだ。角川ソフィア文庫版で常陸国風土記70数ページ中、私が面白いと思って付箋をつけたのは11箇所、出雲国風土記250余ページ中、付箋は3箇所だけだった。

付箋の一つは有名な「国引き詞章」に付けた。文章が魅力的な上に、それがリズミカルに反復されるところが、さらに面白い。角川ソフィア文庫版の注釈には「口承の名残をとどめ」るとある。出雲国編中、この文章は例外的と言える(以下、同文庫版の口語訳による)。

「童女の胸をすくいとるような鋤を手に取られ、大魚のいきいきとしたえらを突くように土地に突き刺して、大魚の肉を(はたすすき)さばくように、土地を切り取り、三本縒りの綱を打ち掛けて、霜つづらを繰るように、たぐり寄せて、河船を、にごり酒のような白い水泡の軌跡を曳きながらゆっくりと曳き上げるように、『国よ来い、国よ来い』と掛け声を上げながら引いて来て縫い付けた国は――」

一読、まずは表現の面白さに惹かれ、続いて同じ文章が二度繰り返されるのに出会う。そういえば、ホメロスの叙事詩にも描写のコピペが何度も出て来たな、と思い出す。それらは、初見では生彩に富んだ表現に見える。だが、リピートされることで、近代小説における描写とは違う性質を持っていることに気づく。

国引き詞章は、元来メロディーをつけて朗唱される詩、歌謡だったのだろう。こうした反復は、音楽でサビのメロディーを繰り返して聞き手の感興を深めるのと同様の効果を持ったはずだ。風土記に、詩、歌謡を基底とする表現が紛れ混んでいるわけである。堅い「漢文」で記される「官報」に、こうした口承的な表現を見出すのは楽しい。