作者セルバンテスの発見  #68

私は影の中にいます

予定を変更して、今回は「その本はなぜ面白いのか?」の続き#68とする。このブログは舵のない船のようにさまよい続けているのだが、時々(私にとって)目の覚めるような発見という椿事が起きる。実は「模範小説集」の続き(5)を半分近く書いており、なお牛島信明氏に焦点をあてるようなことになって、葛藤が生じていた。

批判ばかりしているみたいで、と一人勝手に悩みつつ関連の文献を読んでいたら、突然もやが晴れて……いや、そうではない、もやの中にいるのは変わらないのだけれど、辺りが突然明るくなったのである(旧約聖書の時のもやが晴れる「発見」とは違う事態のようだ)。その後、いい湯加減のお風呂につかっているみたいなほんわかした気分になり、二日ほど何も書けなかった。その間、見たわけではないが、私はにやついていたと思う。

何が起こったのかうまく摑めていない。すごく単純な事態であるようにも思える。いま思いついたままに記せば、私はセルバンテスを発見したのかもしれない。斬新なセルバンテス像を見出したとか、そんな立派な話ではない。専らドン・キホーテに興味があったはずなのに、セルバンテスという作者が突然私の頭の中に入り込んで来たのである。それは、なぜドン・キホーテは面白いのか、なぜ面白さが謎であるのか、というブログのそもそもの問題意識と直かに結びついている。

これまでにない一歩を踏み出したようだ。その進展が私を喜ばせている。私は「三田文学」に「文学上の最大級の才能がもう一人の才能に出会った」と書いた。「もう一人の才能」と形容した時、私はセルバンテスについて、ドン・キホーテという文学史上最大級の作品を残した作家という通り一遍のことしか考えていなかった。偉大さの内実を追究したことはなかったし、そうしようとも思っていなかった。

その証拠に、このブログの「カテゴリー」にドン・キホーテはあっても、セルバンテスはなかった。ヘロドトスやアウグスティヌスやシェイクスピアは「カテゴリー」なのに。評価の高低ではなく、私の興味のありようの反映だ。ドン・キホーテという突出した作品の、一つの宇宙のように広大な内部を探究することしか考えていなかったのである。その気持ちは、模範小説集編全編を読んでも変わらなかった。しかし、『スペイン黄金世紀演劇集』(牛島信明編訳、名古屋大学出版界、2003年)と『セルバンテス全集 戯曲集』(水声社、2018年)を読む内に改心が訪れた。

セルバンテスの演劇への野心の障壁となった「才知の不死鳥」ロペ・デ・ベーガや、その後に活躍するペドロ・カルデロン・デ・ラ・バルカの戯曲は、機知に富んだ台詞が面白く感じられることはあっても、私の造語を用いれば「役割としての登場人物」が書き割りめいた展開の中を動くばかりで物足りず、ベーガの「コメディア・ヌエバ」って要するにスペイン新喜劇じゃないか、と下らないことを考えてしまった(もちろん誤訳です)。

ベーガの最高傑作と言われる「オルメードの騎士」は、劇の梗概が記されているかのようだ。生身の俳優が演じると引き立つのかもしれないが、シェイクスピアなら読んだだけでも面白く、俳優が演じればさらに凄いわけで……。一方、セルバンテスで最初に読んだ「ヌマンシアの包囲」も特に面白いとは感じられなかった。しかし、シェイクスピアと比較できないのは同断なのだが、「気風のよいスペイン人」「アルジェの牢獄」を読むうち、ベーガやカルデロンにはなかった手応えを感じていることに気づいた。

セルバンテスの戯曲には時折、書き割りではない「生身の人間」が登場して来るようなのだ。セルバンテスだけを読んでいては、その貴重さが分からなかったかもしれない。「ヌマンシアの包囲」において、命を惜しんで一人塔に隠れようとする若者は、最後に死によってヌマンシアの勝利を決定づける予定調和的な存在に見えていた。しかし改めて思い返すと、その人物は極限状態における生々しい人間の姿を示しているように感じられる。

彼が塔に登って何を見、何を考えたか、セルバンテスは何も書いていないものの、読者はそれぞれの思いを託しつつ想像できるのである。「新喜劇」の書き割りの人物たちに、そんな仮託はできそうにない。長くなるので例は引かないが、「模範小説集」でもこうした人物や情景は存在する。つまり、真に優れた作品の中にあって、私が「読みたい」と願っているものを、ドン・キホーテ以外のセルバンテスの作品においても見出せたのだ。ただし、時折。

ドン・キホーテがセルバンテスの中で突出しているという認識に変わりはない。だが、あれも書き、これも書いたセルバンテスという作者を導き入れることで、その面白さの意味を追究する新しい筋道が見えたように思うのだ。作者の発見とは当たり前過ぎることのようだが、私にとっては大きな出来事だった。そんな風に喜んでいた直後(本当に直後)、和訳された論文を読んでいる最中、セルバンテスをめぐる驚くべき一行に遭遇した。だいぶ長くなったので、続きは次回に。