
表示乱れが起こっていましたが、解決したのでページ本来の姿に戻しました。私が何かしたわけではありません。原因不明で勝手に壊れて勝手に修復され、私はそれに合わせてページを一部編集しただけです。Flow Paperが原因かと疑いましたが、これも不明です(9月20日記)。以下はトラブルに関する元の記述です。 続きを読む

表示乱れが起こっていましたが、解決したのでページ本来の姿に戻しました。私が何かしたわけではありません。原因不明で勝手に壊れて勝手に修復され、私はそれに合わせてページを一部編集しただけです。Flow Paperが原因かと疑いましたが、これも不明です(9月20日記)。以下はトラブルに関する元の記述です。 続きを読む

上掲画像のドストエフスキー全集第17巻には、ドストエフスキーの手稿・メモと落書きが収められています。ドストエフスキーの落書きはなかなかに魅力的です。下に3点示します(編集者、出版社の権利を考慮して画質を落としています)。



落書きには、上のような人物(ほとんどが顔)の他、建物の一部と覚しきもの、パターン化された模様が多くを占めます。人物はざっと数えたところ97描かれていますが、全部男性です(たぶん)。女性を描かなかったのには何か理由、原因があったのでしょうか?

レワニワ図書館特別閲覧室に『横書き詩集1』をアップしました。蔵書中、初めての詩集です。半世紀近く前にノートに落書きし、バラバラにして保存していた中から選びました。ルイス・キャロルの影響下にあるものが中心です。ナンセンス詩を書いてみたかったのです。キャロルのような数学的思考はできないと分かっていても、やってみたかった。横書きなのは、普段使っていたノートが横書きだったからです。
前回ためらっていると記した割には早いアップになりました。で、「1」とありますが、『横書き詩集2』はさすがに大分先になると思います。ナンセンス詩はすごく恥ずかしいとまではいかないのですが(普通に恥ずかしいだけ)、その他のものは、どうもだいぶ、何というか……恥ずかしさが少ないものを選ぶのが難しそうです。なにしろ古いので、いくつかの作品では説明(いいわけ?)が必須だろうと思っています。いずれ後書きとして書くつもりです。
3月初め、レワニワ図書館の更新再開を宣言したものの、「女神の肩こり」をアップした後、事実上なにもしていません。カルデニオ問題が面白くなって、こちらに集中してしまったせいです(前にも書いたように、老化のせいか元々乏しかったマルチ・タスクの能力をほとんど失いました)。閲覧室の蔵書を増やそうと目論み、そのために横書き用のコンテンツを考えていたのですが、いざ始めようとしたら気が進みませんでした。
どうしたものか、まだ考えています。やめてしまう可能性もあります。一方、ブログで書く予定にしていたことは一段落したので、こちらの更新も間遠になりそうな気配です。「その本はなぜ面白いのか?」の続きとしては、風土記の補遺が残っていますが、これを書くには準備が必要なので、いつになるかわかりません。
一つ、訂正というほどでもないのですが、書いておきたいことがあります。「その本は……」の#28で、「カルデニオとキホーテとの類似は、私の発見のような気がしている」「『二人のキホーテ』という見方は、かつて大きな論点として浮上したことはなかったと考えていい」と記しました。その後、#64でロジェ・シャルチエ及びテイラー&ナンスが、それぞれカルデニオをキホーテの分身ととらえていることを明らかにしました。
先日、吉田彩子先生に問い合わせて、スペインでもカルデニオをキホーテの分身として考察する研究が複数あることを教えていただきました。未読ですが(読むとしても英語の自動翻訳経由になります……残念)、どんな内容なのか楽しみです。それにしても、主人公の分身があまり注目を集めないというのは、理由のあることとはいえ、誰よりカルデニオにとって気の毒です。是非とも、シェイクスピアが「カルデニオの物語」で救ってくれていた……と信じましょう。
上掲の写真は、8月26日の夕暮れ、日没の空が美しかったのでスマホで撮った中の1枚です。写真の右側に青い帯が見えますが、これは「反薄明光線」という珍しい現象のようです。MBC南日本放送のニュースサイトによれば、「湿度など条件が整って初めて見られる現象で、夏場の明け方、日の入り直後にたまに見られる」とのことです。

8月下旬から鹿児島や宮崎で、26日には全国各地で観測されてTBSのニュースにも取り上げられたようです。雨だらけで天候不順の7月の後、8月には酷暑が続き、それでも下旬になると空は秋の気配を宿して変化に富んでいます。で、このところ、やたらと雲の写真を撮っていて、上掲はその中の1枚です。なお、映り込んでいる住宅はプライバシーを考慮し画像処理を施しています。
カルデニオ-ハムレット問題はブログでは終わったはずでしたが、2016年刊の本を追加で購入したら(本文124ページなのに送料・税金込み約4000円!)示唆に富んでいたので、メモを残します。Deborah C.Payne(編著)、Revisiting Shakespeare’s Lost Play : Cardenio/Double Falsehood in the Eighteenth Century Palgrave Macmillan。
巻頭に置かれたロバート・D・ヒューム教授(ペンシルベニア州立大学)の「『カルデニオ』/『二重の欺瞞』問題の評価」では、梗概に「二重の欺瞞」に「混じり気なしのシェイクスピアは殆どあるい全く含まれない」とあって、私の説にとってまずそうだと危惧しましたが、全文を読んだら大丈夫でした。私のカルデニオ-ハムレット説では、純粋無垢のシェイクスピアの証拠がなくても困りません。あれば素晴らしいのですが。
一方でティボルド偽作説は明確に否定しており、ティボルドが17世紀後半の何らか原稿を元に作業したのは事実だろうと記しています。同書の別の著者は、シェイクスピア作かどうかはともかく、ジェイムス王朝時代(17世紀初頭)の劇風が残存していると述べます。こちらの意見は少々困ります。シェイクスピアが作者(の一人)でないと、イギリスとスペインの二人の文学的巨人の出会いが実現しません。 続きを読む
ガルシア・マルケスは、フアン・ルルフォ『ペドロ・パラモ』を「寝るのも忘れて二度読んだ。そしてあくる日『燃える平原』も読んだが、驚きは少しも変わらなかった」そうだ(『燃える平原』解説)。私は『燃える平原』を先に読んだ。すごいものに出会ったと思った。本に印刷された文字ではなく固い土塊を読んでいるみたいだ。旧約聖書がこんな感じだった。面白いとか面白くないとか関係なくページが進む。
『ペドロ・パラモ』は遠くの書店にしかないので、品切れだったがAmazonに注文した。予定より早く、『燃える平原』を読み終えて間もなく届いたので、メイン・ディッシュを待ち焦がれていた人のように、涎を垂らさんばかりに読み始めた。が、うん? 何か違う。色んな人の声が入り混じって、誰の言葉を聞いているのか、そもそも誰がいるのかさえ分からなくなる。その多くが、あるいは全部? 死人なのはいいとして、死が作品の全てを覆い尽くしてしまうのは、死をテーマとする小説が苦手な私にとって印象が良くない。
読了後、最初から読み直し始めた。そうするのが自然だと思えたのは不思議なことだった。そして、マルケスが二度読んだのも当然、と早合点しそうになった。だって一度読んだのでは、この小説の内容はつかめないからだ。二度目には、誰が語っているのか見当がつく……どころか、次第に明快に分かって来た。となるとマルケスは、学生の時に訳し始めたという訳者杉山晃氏も、最初から理解して読んでいた可能性があると思い直した。私には難しかったということだ。 続きを読む
さすがに夢ではありませんでした。「ハムレットとドン・キホーテ」の回に「ロシアでのハムレットの最初期の翻訳では、ハムレットとオフェリアが結ばれるハッピーエンドに改変され……訳者は劇作者で」とした記述の元が見つけられなくなり、夢か妄想かと心配になったのでした。「元」は不明のままですが、ロシアのハムレットについて根拠となる論文を発見しました。
柳富子氏によれば、ロシアでハムレットを最初に紹介したのは18世紀の悲劇作家スマローロフでした。しかし内容は大きく変更されていて、ハムレットはオフィーリアと共に最後まで死にません。柳氏の論文には記述がないのですが、岡部匠一氏は、二人が最後に「幸せに結婚した」と書いています(英語論文)。
スマローロフの「ハムレット」はシェイクスピア作のクレジット抜きで発表され、原作者を見破られると、一部が似ているだけだと模倣を否定したそうです。柳氏は劇の概略を記しています。ハムレットは内省をせず、周囲の状況で復讐を先延ばしにするようです。結末では、反逆した娘オフェリアをその父が殺す寸前、ハムレットらが処刑場になだれ込み、父を成敗しようとすると、娘は父の命を取るなら私を殺してからにして、と……。 続きを読む
シェイクスピアは、ドン・キホーテのカルデニオを「二重の欺瞞」のフリオに取り替えたりしない。ハムレットの作者の目に、復讐の企図と実行の合間から逃げ出して内省する半狂人と、直情的に修羅場に躍り出てしまう考えのない若者が同じに見えるはずはないのだ。近代以前のヨーロッパ人が内省をしなかったわけではないだろう。内省という精神的な営為がまだ認識されていなかったのだ。
そうした人々にとってカルデニオは理解し難く、フリオは受け入れられやすい。その上、単純な青年は劇をスペクタクル化する。セルバンテスの原作にしたがって、緊迫した結婚式の場面が活劇でなく主人公の独白に続くとしたら、観衆は喜ばないだろう。絶頂期のシェイクスピアがハムレットのような素晴らしい独白を書くのでなければ。この改変は、誰が行ったのか?
前回述べたように、「二重の欺瞞」のプレゼンターであるルイス・ティボルトによれば、1613年初演の「カルデニオの物語」は17世紀後半に改変されている。タイトルと登場人物の名前の変更という、もし偽作者であれば下策と思えることをティボルドがしたのか否か考えるなら(普通はしない)、本当にその時期に改変が行われ、ティボルドが引き継いだ可能性は残る。 続きを読む