『女神の肩こり』 自作解説(1)

貝殻の中の真珠猫

この1週間ほぼ外出しませんでした。多分ただの鼻風邪で熱もありませんが、喉が痛かったので念のため。元々引きこもり体質なので大してつらくありません。その一方、時間だけはたっぷりあるのに、頭がうまく働かず、新型コロナのニュースに心を奪われていることも相まって、予定していたブログの更新がちっとも進みません。

つまりは『女神の肩こり』自作解説ができなかった言い訳です。サボっていたのは確かですが、準備は進めていました。で、外堀は埋めたものの、その後は攻めるべき敵城をぼんやり眺めるばかりで、出陣できない……できないのか、しないのか、自分でもよく分かりません。これから、進発します。

私が思うのに、『女神の肩こり』のみそ・・は一神教の神に妻とみなされる存在がくっついていることです。多神教であれば、ゼウスとヘラ、イザナギとイザナミなど夫婦神は珍しくありません。一方、唯一神に「妻」がいるのはおかしいと感じられることでしょう。このアイデアを思いついた時、物語は動き始めたのでした。結果、ゼウスとヘラを念頭に置いて……という当初案は吹き飛んだのでした。

唯一神に「妻」がいること(『女神の肩こり』p5「「あれのことを妻と呼びたいなら、呼んでくれて良い。/私とあれとは、大昔、夫婦にたとえられていたからだ」)も、単なる思いつきの奇想ではなく根拠があります。山我哲雄氏『一神教の起源』( こちらの記事を参照)で、「ヤハウェがエルと習合ないし同一視される際に、ヤハウェが配偶女神としてアシュラをも受け継いだ」とする研究者の説を紹介しています。この辺りがアイデアの源だったと思われます。

旧約聖書には、邪な信仰の対象としてアシュラ(とバール)が登場しますが、そのアシュラが、元はエル(神)の配偶者である女神だったというのです。エルはイスラエル(神が支配する)の「エル」です。元来エルはヤハウェとは別の神であり、カナンの地に住む人々の信仰する「ヤハウェがエルと習合ないし同一視される」ようになったことでユダヤ教の源になったのでした。

ユダヤ教、キリスト教、イスラム教というと、唯一神以外認めない厳格な一神教というイメージがあり、ユダヤ教においてはそれが原初以来続いて来たかに思われています。しかし、私たちが知るような一神教になるまでには歴史的な経過があり、旧約聖書の記述にそうした変化の痕跡があることはに書きました。

発掘された遺跡からも、そうした痕跡は見つかります。古代イスラエルの居住地跡からは、テラコッタの「巨乳」女神像が数多く発見されているのだそうです。こうした女神像は、家庭の守護神のようなものとして祀られていたと考えられます。ヤハウェという隔絶した至高の存在を尊びつつ、民衆レベルではより素朴な信仰の形があったのです。ヤハウェと女神を夫婦とみなすこともあったようです。『女神の肩こり』の唯一神が「私とあれ(女神)とは、大昔、夫婦にたとえられていたからだ」と言明するのは、この点を意識しています。

バビロン捕囚後、今日につながるユダヤ教が成立する過程で、上記のような過去の宗教の名残は消し去られていきます。それでも、神ヤハウェは常に単独の存在だったわけではありません。隔絶した不可視の存在である唯一神を信仰の対象とすることは、特に民衆にとって簡単ではありません。神と民とをつなぐ存在が必要になるのです。キリスト教の天使は、実はユダヤ教から引き継がれたものでした(「ユダヤ教の天使」の解説は私の手に余るので、ここではしません)。『女神の肩こり』では、女神が自ら媒介者の役を引き受けます。

……どうやら1回分の原稿量になりました。「自己解説」と言いながら、「私が思うのに」とか「だったと思われます」と書いています。完成して人前に出した後、作者の立場は他の読者と大して変わらないと私は考えています。つまり、私の解説は、作者の内情にちょっとだけ詳しい者による一つの解釈に過ぎないということです。『女神の肩こり』の解説、まだ本文最初のページにとどまっています。もう少し続けます。

画像は『女神の肩こり』セラミック・アートの作者Shoko Teruyamaの娘Imari(7歳)のデザインとアート・ディレクション(?)により、母親が制作したものです。Instagramには「Quarantine project with 7 year old.. she designs stuffed animals and I sew them.」とあります。Shoko&Imari ©2020