旧約聖書の凄さ(5) #56

バビロンの祭り(町田だったかも?)

バビロンは古代都市の固有名であると共に、特にキリスト教世界において邪悪や淫乱の象徴でもある。この悪名はバビロン捕囚抜きには考えられない。紀元前6世紀のバビロンには、ユダ王国だけでなく、ネブカドネツァルが征服したいくつもの国の人々が捕囚として住まわされていた。ユダ王国以外の多くの人々は、この「魔都」に留められる間に民族的な同一性を失っていったようだ。旧約聖書以外、捕囚された側の記録が残っていないらしいのは、ネガティヴではあるがその証左となりそうだ。

一方、ユダ王国の人々は自らの同一性を保持しようと決意し、実行する。その成功の結果として現在につながるユダヤ人、ユダヤ教が析出されたのだった。捕囚後エルサレムの神殿でヤハウェを祭ることができなくなると、互いに寄り集まって礼拝するようになる。これがシナゴーグでの集会につながる。信仰の身体的な刻印として割礼や、日常生活の型枠として週に一度の安息日を守ること、食べ物の禁忌なども、ヤハウェ信仰と独自の民族性を保持し続ける強力な装置となった。

ユダヤ教、キリスト教は「一神教」というのが常識だが、「ヤハウェの他に神はなし」という「唯一神教」として確立されたのも、実はバビロン捕囚以降のことである。それまでのヤハウェは、「私たちが契約する唯一の神」や「神々の中で最も優れた神」だった。そのつもりで旧約聖書を読み返せば、「ヤハウェの他にも神がいる」ことを示唆する記述はいくつも見つかる。山我氏の『一神教の起源』では、これを旧約編纂時の「検閲漏れ」と書いている。例を見てみよう。

「今、わたしは知った……主はすべての神々にまさって偉大であったことを。」(出エジプト記18-11)
「あなたは、あなたの神ケモシュが得させてくれた所を得、わたしたちは、わたしたちの神、主があたえてくださったすべてを得たのではなかったか」(士師記11-24)
「その神々はアハズにとっても、すべてのイスラエルにとっても、破滅をもたらすものでしかなかった」(歴代誌下28-23)
「神は神聖な会議の中に立ち/神々の間で裁きを行われる」(詩編82-1)
「大いなる主、大いに賛美される主/神々を超えて、最も畏るべき方」(詩編96-4~5)
「わたしたちの主は、どの神にもまさって大いなる方。」(詩編135-5)

ユダヤ教は、古代からずっと「ヤハウェの他に神はなし」の厳密な一神教(唯一神教)だったと思われている。しかし、唯一神教確立以前には、ヤハウェ信仰において多神教との境目は曖昧だったようなのだ。旧約中にバールやアシュラという「異教の神」が堕落した信仰の象徴として登場するが、それらは元はカナンの土着民の信仰対象だった。ヤハウェはそうした神々の中で、上述のように「私たちが契約する唯一の神」「神々の中で最も優れた神」だったわけだ。

古代イスラエルの居住地の遺構から、豊穣や出産に関連すると思われる女性像の土偶が出土している。古代イスラエルの信仰のありようは、偶像崇拝を禁ずる厳しい一神教のイメージとは違っていたようだ(旧約では、それを信仰の堕落とみなす)。「検閲漏れ」とはいえ、旧約からはこうした過去の姿を透かし見ることができる。私はこれも旧約の凄さだと考える。旧約を作った人々は、捕囚という厳しい環境下、唯一神への帰依という信仰のあり方を確立すると共に、過去から伝わる全てを書き留めることで民族的な記憶を守ろうとしたのだった。

山我氏は、古代イスラエルの信仰が唯一神教であるユダヤ教に変わっていく過程を、数次に渡る信仰上の「革命」だったと記す。イスラエル王国の南北への分離と宗教的堕落、アッシリアによる圧迫と北王国の壊滅、南のユダ王国におけるバビロン捕囚。ヤハウェは外部の神々に対していわば連戦連敗だった。そうした危機的な状況下、信仰を守ろうとする人々は、#53に記したようにこれを逆転させる。すなわち、自分たちの惨状を、神との契約違反、信仰の堕落がもたらした主からの罰とみなしたのである。

最終的な「革命」において、ついにヤハウェの他に神はいないという唯一神教を確立する。ヤハウェ以外の神々は消え去り、他と優劣を比較することは不可能になった。旧約には、ネブカドネツァル王は主の命令でユダ王国を破壊してバビロン捕囚を行い、ペルシアのキュロス大王はメシアとしてバビロン捕囚からの解放を行った、と記されている。無理なこじつけのように思えるが、ヤハウェの他に神がいないのだとしたら、このように「解釈」するしかなくなる、かもしれない。