3月末、ドン・キホーテと風土記の補遺を書くための準備が始められそうと書いたのですが(こちら)、前者について進展がありました。去年買っておいた本を読んだところ、一挙に視界がクリアになったのです。だったら、とっとと読んでおけよというところですが、英語版なので億劫だったのです。
コロナの現実から逃避しようと、ナボコフPale Fireに頑張って取り組んだおかげで横文字本への耐性が鍛えられ、ずいぶん楽に読めました(ブログの更新が途絶えるぐらいには集中し、眼痛も再発したわけですが)。研究系の本、さらに翻訳書(原書は仏語)であることも奏効したと思います(翻訳は原文より分かりやすくなるのが普通)。ただし、求めていた答えを得たということではありません。
ドン・キホーテを読んで推察したこと(こちらとこちら)が、可能性として生きる余地があると判明したことが大きな成果でした。また、私がウダウダ、グダグダ考えたり、書いたりしていることは、専門家や学者が考えない方向で何かを見いだす時に意義があるのだと確信(再確認)できたことも収穫です。ただ、補遺執筆はもう少し「研究」を深めてからにします。今回の本編は、自作を語ることについて、『女神の肩こり』自作解説の続きにして最終回です。 続きを読む