旧約聖書の凄さ(6) #57

バビロンの車市場にて

バビロニアによる捕囚とアケメネス朝ペルシアの支配の下でも、ユダヤ人は一つの民族集団として生き抜くことができた。独自の国を再建することはかなわず(第二次世界大戦後のイスラエル建国まで)、各地に分散して居住(ディアスポラ)しながらも、「宗教民族」として存在し続けたのである。その核に、ヤハウェ以外の神を認めない一神教という宗教の独自性があった。

しかし、先祖伝来の土地と結びついた民族的な基盤を根こそぎにされる捕囚のような状況では、独自の信仰や生活習慣が失われていくのは自然な成り行きだ(現代でも、同胞コミュニティのない国への移民なら同じこと)。バビロンに閉じ込められたユダ王国の人々は、そのような有様を周囲で見聞きし、また我が身のこととして体験していたはずだ。その結果どうなるか、彼らは捕囚以前に知っていたのである。

ヤハウェ信仰を共にするイスラエル北王国の人々は、アッシリアによって各地に分散して居住させられ、民族としては雲散霧消してしまう(いわゆる「失われた十部族」)。南のユダ王国には北王国の滅亡から逃れて移住した人も多く、彼らは山我哲雄氏の言う信仰上の「革命」の担い手ともなった。北王国の滅亡を直接、間接に知る人々は、捕囚という状況下、北王国の悲劇を繰り返さず、民族を存続させるために何が必要か懸命に考えたはずだ。

彼らは、宗教と結びついた独自の民族性を、身体的な記憶(割礼、安息日、シナゴーグでの集会、食物の禁忌等)として保守しようとした。しかし、時がもたらす変化と忘却に抗うには、まだ足りない。自分たちが何者なのか、文字にして記録しておく必要があるのではないか。そのために記憶している「全て」を書き残しておこう……そう考えた人たちがいた(はず)。こうして、戒律や歴史や伝承された物語などが細大漏らさず書きとめられることになったのである(それが「旧約聖書」と呼ばれるようになるのは、もっとずっと後のことだ)。

#53で、預言書を読むのに難渋していたら「不意に霧が晴れ、旧約聖書の全貌が見渡せる場所にいることに気づいた」と記したのは、旧約が、戒律、歴史、物語など「全て」を書き残そうとする人々の「生存」をかけた営為であった、と突然気づいたからだった。旧約聖書には、民族存続のために何から何まで文字で記録しようと決意し、実行した人々の執念がこもっているのだ。これは凄い……驚愕し、感じ入った。

旧約の全貌が見渡せたと思ったのには、もう一つ大きな理由がある。読むのに苦労させられる預言書群であるが、それらには共通して一つの明快なテーマが貫かれていた。他国に支配される苦境は、主との契約を破り、異教の偶像を礼拝する罪を犯したことに対する罰だという認識である。

で、預言書という険しい山道を登って辿りついた高所から見渡してみると、実は旧約全体が同じ罪と罰のテーマに貫かれていると理解されたのである。このテーマは、彼らがアッシリアによる侵攻以降に味わった惨禍と見合うものであるが、旧約では、そのはるか以前に遡り、人類創世以来の歴史全体に敷衍されているようなのだ。

そもそもアダムとエバからして、神との約束を破ってエデンから追放されている。ノアとその家族以外の人間は、罪のためにみな洪水に呑まれてしまう。バベルの塔とソドムの市も罪と罰の寓話だ。ダビデとソロモンの王国の栄華がどんなに華麗に描かれるのか、それまで辛い記述が多かったので期待していると、意外にあっさりすまされる。王国のその後の悲惨な歴史を知っていると、これではまるでホラー映画で恐ろしい出来事が起こる前の楽し気なキャンプの場面だ。

むしろ、ダビデとソロモンという英雄たちの罪(殺人に姦淫、異教の神の許容など結構ひどい)が気にかかる。こりゃ、神様はただではおかないんじゃないかと心配したが、ダビデ本人は罰せられず、ソロモンも特に罰を受けた気配はなかった。ソロモンを継いだ王たちの多くは宗教的に堕落し、王国は分裂してそれぞれアッシリアとバビロニアに呑み込まれる。結局罰を下されたのは、捕囚の憂き目に遭った代を隔てた子孫たちだったようだ。長くなったので、一旦ここで切って次回に続けます。