
表示乱れが起こっていましたが、解決したのでページ本来の姿に戻しました。私が何かしたわけではありません。原因不明で勝手に壊れて勝手に修復され、私はそれに合わせてページを一部編集しただけです。Flow Paperが原因かと疑いましたが、これも不明です(9月20日記)。以下はトラブルに関する元の記述です。 続きを読む

表示乱れが起こっていましたが、解決したのでページ本来の姿に戻しました。私が何かしたわけではありません。原因不明で勝手に壊れて勝手に修復され、私はそれに合わせてページを一部編集しただけです。Flow Paperが原因かと疑いましたが、これも不明です(9月20日記)。以下はトラブルに関する元の記述です。 続きを読む
3月初め、レワニワ図書館の更新再開を宣言したものの、「女神の肩こり」をアップした後、事実上なにもしていません。カルデニオ問題が面白くなって、こちらに集中してしまったせいです(前にも書いたように、老化のせいか元々乏しかったマルチ・タスクの能力をほとんど失いました)。閲覧室の蔵書を増やそうと目論み、そのために横書き用のコンテンツを考えていたのですが、いざ始めようとしたら気が進みませんでした。
どうしたものか、まだ考えています。やめてしまう可能性もあります。一方、ブログで書く予定にしていたことは一段落したので、こちらの更新も間遠になりそうな気配です。「その本はなぜ面白いのか?」の続きとしては、風土記の補遺が残っていますが、これを書くには準備が必要なので、いつになるかわかりません。
一つ、訂正というほどでもないのですが、書いておきたいことがあります。「その本は……」の#28で、「カルデニオとキホーテとの類似は、私の発見のような気がしている」「『二人のキホーテ』という見方は、かつて大きな論点として浮上したことはなかったと考えていい」と記しました。その後、#64でロジェ・シャルチエ及びテイラー&ナンスが、それぞれカルデニオをキホーテの分身ととらえていることを明らかにしました。
先日、吉田彩子先生に問い合わせて、スペインでもカルデニオをキホーテの分身として考察する研究が複数あることを教えていただきました。未読ですが(読むとしても英語の自動翻訳経由になります……残念)、どんな内容なのか楽しみです。それにしても、主人公の分身があまり注目を集めないというのは、理由のあることとはいえ、誰よりカルデニオにとって気の毒です。是非とも、シェイクスピアが「カルデニオの物語」で救ってくれていた……と信じましょう。
上掲の写真は、8月26日の夕暮れ、日没の空が美しかったのでスマホで撮った中の1枚です。写真の右側に青い帯が見えますが、これは「反薄明光線」という珍しい現象のようです。MBC南日本放送のニュースサイトによれば、「湿度など条件が整って初めて見られる現象で、夏場の明け方、日の入り直後にたまに見られる」とのことです。

8月下旬から鹿児島や宮崎で、26日には全国各地で観測されてTBSのニュースにも取り上げられたようです。雨だらけで天候不順の7月の後、8月には酷暑が続き、それでも下旬になると空は秋の気配を宿して変化に富んでいます。で、このところ、やたらと雲の写真を撮っていて、上掲はその中の1枚です。なお、映り込んでいる住宅はプライバシーを考慮し画像処理を施しています。

突然降り出した春の雪のすごさに呆然とし、新型コロナウィルスに凍えていた心がさらに遠くへと運び去られて、キーボードに指を置いたまま、ただ窓の外を見ていました。その後、花とか心とか考えている内に指が動き出したのは、たぶん西行法師のおかげです。
2月17日のブログに「『新型コロナ』で世界に激変の兆し……」と書きましたが、これが世界史的な変動であることはもはや明らかでしょう。単なる疫病のもたらす変化ではなく、ソ連崩壊以降、1990年代から続くグローバルな変化の到達点であり、さらなる新しい動きの発火点となるだろうという意味において世界史的だと考えます。
世界史のただ中にいるとは、実に落ち着かないもののようです。これはグローバル化の「主犯」ネットのせいでもあります。ついつい新型コロナ関連のニュースやトピック、数字を追いかけてしまい、たちまちの内に時間は飛び去って、頭痛と眼痛に襲われます。目覚めている間ずっと気分が暗く、眠っても悪夢に悩まされます。「やる気満々」だった『女神の肩こり』の「自作解説」は、心と一緒に遠くへ旅立ってしまったようです。 続きを読む
休止の知らせをしないまま2週間以上更新しませんでした。最後の教員仕事に思ったより時間がかかったのと、旧約聖書との格闘が終わって気が抜けたことが主な原因のようです。ぼーっとしている間に、「新型コロナ」で世界に激変の兆しが……。
頭痛は続いているものの、程度も頻度も前ほどではありません。眼鏡をかける時間が長くならないよう心がけたおかげか、はたまた、やはり旧約から頭を切り離すことができたからなのか。と言いつつ、少しだけ旧約に関連することを書きます。
経緯は省きますが、最近ヴィクトール・フランクル『夜と霧』について考える機会がありました。その際、『夜と霧』にはユダヤ教や旧約聖書について言及が殆どないことに気づいたのでした。ユダヤ人であるが故に強制収容されたことを考えると、不思議です。 続きを読む

なんと、『誰も教えてくれない聖書の読み方』をさらに先延ばしにして、「その本はなぜ面白いのか?」#60に突入します。エリック・マコーマック『雲』があまりに面白く、どうしても書きたくなったのです。
年末年始、エリック・マコーマック『雲』(柴田元幸訳)を読んで過ごした。450ページ強もある長編小説ながら、最後の方になると読み終えるのが勿体ないという気分になった。こんなの、いつ以来だろう? 読み終えるのが超嬉しい旧約聖書とはまさに対極だ。しかも、実のところ、好みかというと、そうではない。マコーマックは知らない作家だったし、この先別の作品を読むかどうか分からない。
痛みや残酷さ、怪異や怪物的存在を前面に立てる種類の小説が苦手で、自分でも書いたことがない。『雲』はまさにそうした小説なのに、夢中になって読んだのだ。何度か頭痛とじゃんけんすることになったが、この本を読むためなら負けても構わないと思っていた。そうなると意外に負けないのである。面白くて先へ先へと進んで行けるから、変に集中しないでも作品に入り込めるためか(この辺も旧約とは対極)。面白さには、こんな功徳もある。
好みではないのに面白いと感じたのは、なぜだろう? 一つは、現実ならざるものを現実と境目なしに、リアルであるかのように描くマジックリアリズムの作風(今や懐かしい?)だ。これは私にとってツボだが、それを怪異や怪物と結びつけられると嬉しくない。作品の起動力となる、地上を鏡のように映す「黒曜石雲(obsidian cloud)」はまさにリアルでマジックな怪異である(科学的に説明され得るが現実には起こったことはない、らしい)。 続きを読む

すぐにでも前回の続きを書くつもりでいたのに、思いがけず長い休みを取ってしまいました。一番痛かったのは、書く時間を取る予定だった数日間に、久々の強い頭痛に見舞われたことでした。再発しないか、今もやや不安です。身体が手前の言うことを聞いてくれないのは承知しています。ブログを始めた時から、長いスパンの取り組みという心づもりでしたが、それが無限に長くならないよう「おからだ様」に協力をお願いしたいところです。
……とここまで書いたところで再発、何とも間抜けな展開ながら笑うこともできず、休みがさらに延長されてしまいました。今はまだ恐る恐るという感じです。書きたいことを書く。時間ができれば本を開く(眼鏡のせいなのか、読書すると頭痛がひどくなる)。そういうことが実は贅沢だったと知りました。
書くことは一種の快楽です。ただし、長距離を走る人が感じる苦痛と不可分であるような種類の(走る趣味はないので本当のところは知りません)。旧約聖書について記すのは、かなり面倒くさいことで、8月下旬に旧約について書きたいと表明した後、九月末に「旧約聖書の凄さ(1) #52」を投稿するまでかなり間が空いたのは、頭痛のせいもありますが、どう書き始めたらいいのか全く分からなかったのが要因です。 続きを読む
左右の区別が苦手な人がいます。小学校低学年では運動会の全体練習で左右の動作を合わせられずに居残り、老齢に至っても眼科の検査で眼球を右、左に動かしてと言われ一瞬どちらか迷ってドキドキする。私のことです。PDFで「ネットブック」を作るのにページの左右の配置が問題とわかり、これは苦手な分野だと心配していました。しかし、本当にやっちまうとは……。
頭には「縦書きの本は右開き」と入っていたのです。じゃあ、前回なぜ左右を逆に書いてしまったのか? PDFを見開きで読めるFlowPaperは横書き向けのアプリです。これを縦書き用にするのに、どうすればいいかと脳内で仮構築、実際に試用してと試行錯誤する内、右と左がどちらの向きなのか段々混乱し始め、やがて「縦書き/右開き」と記憶していたのを、左右が苦手な私は間違って覚えていたのだ、と誤った判断をするに至ったのでした。
上記のように書きつつ、左右の区別が苦手な人には分かってもらえるかもしれないけれど、そうじゃない大多数の人には理解の外、呆れられるだけかなと思います。「左右盲」というネット用語(?)があるそうです。そうした「同志」の書き込みを見ると、知能や運動神経とは関係がないらしく、「左右盲」でも実生活で困ることは少ないというのも共通の認識のようです。聞いた道順を覚えにくかったり、思わぬ時に恥をかいたりするだけです。 続きを読む