常陸国風土記、「作者」は誰か?  #75

和銅六年(713年)、後に風土記と称されるようになる報告()を国ごとに出すようにというみことのりが出される。発令の時期と任期から考えて、常陸国風土記作成にかかわった可能性のある国司は、阿倍秋麻呂、石川難波なにわ麻呂、藤原宇合うまかいの三人。後二者には、それぞれ春日蔵首老かすがのくら の おびとおゆと高橋虫麻呂が下僚として作成にかかわったのではないかとも言われる。

前二者の国司も当時の貴族として漢文の教養を有していただろうが、懐風藻、萬葉集などに作品がないことから、「作者」としては検討の対象から外す(国司としてかかわった可能性を排除しない)。常陸国風土記は「現存風土記の中で最も文學的技巧的であることは言ふまでもない」と国文学者久松潜一が述べるように(『万葉集考説』昭和10年)、他の風土記より文芸的な価値が高いと認められていた(先述のように折口信夫は否定的)。

明治26年、水戸藩出身の歴史家菅政友が、宇合が常陸国風土記を「潤色」したのではないかとの試論を提起し、以後これが有力な説として継承されて来た。宇合が懐風藻に漢詩を寄せるほどの文人であることが一つの根拠とされている。宇合説を前提として、万葉歌人として高名な虫麻呂が共同の、あるいは補助的な作成者としてあげられて来た。しかし、同説には、宇合の常陸国赴任が詔の出された年よりかなり遅いという弱点もあった。 続きを読む

風土記のために万葉集に寄り道  #74

ようやく風土記の補遺の続きを書くことができる。セルバンテス-シェイクスピアの時ほど態勢を整えたわけではないが、深入りすれば切りがないので準備はここまでとする(補遺と言うには長いので、別のタイトルをつけることにした)。そう決めた後、先日補遺の続きを断念することになった理由が腑に落ちた。私は「作者」について調べた上で、関連する歌や漢詩にあたればそれですむと思っていた。しかし、別の難問が水面下に隠れていて、そこで座礁したのだった。

作品の鑑賞という問題が、私には見えていなかった。好みを言うだけなら、どう読もうと勝手だろうが、私は常陸国風土記の特別な長所について述べたいのである。となると、その「作者」候補者の位置づけや 、彼らの作品がどう読まれて来たかについて、ある程度は押さえておく必要がある。遠い昔に書かれたものを読み、楽しむことで、私はこれまで概ね満足していたのだった。

しかし、補遺で解こうとした問題は、こうした無為の楽園から一歩踏み出さずには解決できないものだった。となると、高橋虫麻呂や春日蔵首老かすがのくらのおびとおゆの歌が採られた万葉集の全体と取り組む必要があるのだろうか? そうすべきかもしれないが、短歌と縁が薄い私には難しい。そこで、ハムレット論に深入りする代わりにスティーヴン・グリーンブラットを案内役としたように、万葉集についてもガイドを立てて導いてもらうことにした。 続きを読む

風土記の神様は手強い?

2度目のワクチン接種で発熱する気満々だったものの、腕の痛みすら1度目より軽く、副反応が出にくいという老人男性の通例通りに……ちょっとガッカリ、なんて言っては不謹慎でしょうか。自衛隊さん、ありがとう。一方、常陸国風土記関係では、自戒していたのに「作者」をめぐる文献の泥沼に片足だが突っこんでしまい、ちょっと書きにくい感じになってしまいました。

……と、この後を続けようとしたら、なぜか途中でうまく進まなくなり、何度書き直しても満足のいく出来になりません。やむを得ず中断することに決めました。材料も、構想も、ちょうどいい塩梅に整っていて書けないはずがないのに、うまく行かないのです。シェイクスピアの時には大明神が自発的に降りて来てくれて、私の思惑を超えた「作品」ができたのですが……。

風土記の神様は手強いようです。前にも、こんなことがあったなあ、と思い出したのは、『アレキサンダー大王東征記』についてどうしてもうまく書けず、とうとう断念したことでした。ただ、『東征記』はできれば書いておきたいくらいだったのに対し、風土記はこのブログの大事なテーマの一つですから、諦めるわけにいきません。深入りせずに書こうなどという半端な姿勢が良くなかったのかもしれません。これから、可能な限りでですが文献を読み、風土記の続きは7月最終週にアップすることを目指したいと思います。

常陸国風土記の詩想 風土記補遺(3)   #73

常陸国風土記には風土記の文学としての魅力が凝縮されている。冒頭、倭武天皇が沸き出したばかりの泉水に指をひたす美しい場面(#3)は、その魅力を象徴するものだ。ただし、こんなことを言っているのは私だけかもしれない。専門家の世界に闖入して迷子になるのは懲りたので、網羅的に文献をあさることはしていないけれど。

学者にも風土記を好きだと語る人はいて、たとえば坂本太郎氏の随想(*1)を読むと、資料を揃えること自体が難しかった時代から研究を深めていった真摯な姿勢に圧倒され、やがて氏の風土記への愛の深さに感動する。しかし他の多くの人は、古代の歴史、文学や民俗を研究する際、メインストリームの古事記や日本書紀にない材料や視角を与えてくれることが風土記への好意の理由のようだ。風土記そのものは愛の対象ではないのだ(#3)。

前回の予告で触れた折口信夫の風土記をめぐる論は、講演や大学での講義をベースとしたものが多い。概して、風土記自体への関心より、古代の文学や民俗を論じるのに必要なので触れたという印象を受ける。そうした中、歌人釈迢空でもある折口が常陸国風土記について、わざわざ「つまらぬもの」と記したのはやはり気になる。 続きを読む

天平の無名詩人 風土記補遺(2)   #72

ブログ開始時に風土記について集中的に投稿(#3~#11)した後、さらに補遺を書くつもりだと予告したのは、常陸国風土記の作者を調べようと思っていたからだった……いま「作者」と記した。風土記は、奈良時代初期、中央政府から任国に関する調査を求められた官僚による報告()であり、創作物ではない。役所の書類作成者を普通は作者と言わない。出雲の国の報告者は、当時Exelがあれば解を書くのに便利に使っただろう――出雲国風土記の「解」は、例外的に無味乾燥な地誌的な情報を含む完本に近い形で残っており、そんな空想が可能になる。

一方、常陸国風土記の書き手は、時に優美かつ雅趣に富んだ書きぶりを示していて、作者と表して不自然ではない。冒頭から間もなく、湧き出した泉の清冽な水に「倭武天皇」の指が触れる場面を書店で読んで、私は魅せられてしまった(#3)。報告書という性質上、作者の個性は抑制されるわけだが、それでもなお作者の才気は文中に流露している。

岩波古典文学大系版『風土記』(昭和33年に第1刷)の解説では、常陸国風土記の書き手の有力候補として藤原宇合うまかいと配下の高橋虫麻呂をあげられている。常陸に着任していた時期と、文章からうかがわれる「遊仙文芸的文人趣味」をその理由としている。宇合は万葉集に歌、懐風藻と経国集に漢詩を、虫麻呂は万葉集にその作とされる歌を多数残す文人なのである。しかし万葉集を読んでも、懐風藻にあたっても、常陸国風土記の「作者」として二人ともピンと来なかった。風土記の文章と肌合いがまるで違うのだ。 続きを読む

愛しい古代 風土記補遺(1)   #71

過ぎてしまえば一月前だって手の届かない昔だ。どんなに些細でも、起きたことを変えることはできない。歴史的な過去でもないのに、あった通りに思い出すことすらできない。そして、そんなあやふやな過去の集積が私という人間を成り立たせている。記憶は、過去という大海を漂う小さな船のようだ……なぜ急に、こんなことを言い出したかというと、はるかな昔に書かれたものに惹かれる自分の気持ちが、なお少し不思議でもあるからだ。そのことが記憶や過去、歴史といった言葉に結びついて、よしなしごとに思いをめぐらしてしまうらしい。

小説には大きな魅力を感じる。ずいぶん助けられた恩義もあるわけだが、野蛮すぎて穏やかな気持ちで愛でることは難しい。小説は街の路上で行われる喧嘩のようなものだ。人の喧嘩は楽しいし、自分でもそんな野蛮な遊びに参加していた。まだやる気はある。ただ、あれはやむにやまれず行うものだ。はるかな昔の書物に触れて愛おしい気持ちになることから、かなり遠い。無関係ではなく、それどころか深いところでつながっているはずだが、今はおこう。

風土記について書くために、続日本紀の一部に目を通した。風土記同様、官報めいた記述(というか人事などはそのもの)の合間に置かれた、亡くなった高僧の伝記や来朝した外交使節とのやりとりなどを記した部分を読むのが心地よい。特別なことが書かれているからでも、常陸国風土記のように書き手の才能を感じたからでもない。抑制された簡潔な筆致で書かれたエッセイを読む楽しみに近いのだが、はるかな昔の記録でなければ、ここまで惹かれはしないだろう。 続きを読む

「再び恋に落ちたシェイクスピア」限定公開

シェイクスピア大明神に導かれるままに書いた「再び恋に落ちたシェイクスピア」、限定的に読んでもらえる手はないかと考えていました。そもそもは、映画続編のシノプシスを書いてみよう、それがブログ1回分のネタになればと思いつきから始まりました。

ところが着手すると、登場人物やストーリー、場面の細部が勝手に、次から次に浮かんで来て途切れることがありません。それらを懸命に書きとめる内、400字詰め原稿用紙換算で100枚弱、シナリオ第一稿のようなものができてしまいました。長すぎて、ブログには収まらないし、制作者の権利侵害の恐れはないにしても、レワニワ図書館の蔵書として少し変です。困っていたら、一つのアイデアが浮かびました。

この「続編」、シーンによっては場面としてどう成立させるかを詰めないまま進めました。シナリオの書き方はよく知らないのですが、それらしく各シーンに番号をふってあって、中のいくつかはラフの状態に留めています。たとえばシーン47では、重要な登場人物である少年少女(どちらも貴族の家系)が、シェイクスピアの芝居の稽古に出かけているのが家族にばれそうになったものの「何とか誤魔化す。二人は目配せして微笑む」と記しました。 続きを読む

計画変更、記事を削除

5月14日にアップした「二つの火の鳥と風土記(1)」の記事を削除しました。(1)に続けて(2)を書くつもりだったのですが、いくつかの理由があってすぐには取りかかれませんでした。すると、この間にブログと直接には関係のない事情から頭の中で異変が生じ、そのせいで内部の配線がずれたのか、(2)を書こうという意欲が減退してしまいました。

それだけでなく、ブログに新しい記事を書くこともやや難しい状態になっています。というわけで、(1)があっても(2)を書かないのでは意味がないので、上記記事を削除しました。また、しばらくブログの更新をお休みにします。現在のところ、6月初め~6月上旬に再開しようという心づもりです。

風土記については、上記記事のようなゆるい形ではなく、「その本はなぜ面白いのか?」の続き#71として書こうと考えています。#51などで予告した風土記の補遺に、なるべく直線で近づこういうわけです。ただし、次回の記事は、「再び恋に落ちたシェイクスピア」関連になるでしょう。